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國定忠治 信州子守唄[くにさだちゅうじ しんしゅうこもりうた]
『國定忠治 信州子守唄』(くにさだちゅうじ しんしゅうこもりうた)は、1936年(昭和11年)製作・公開、マキノ正博監督による日本の長篇劇映画である〔''国定忠治 信州子守唄''、日本映画データベース、2012年11月27日閲覧。〕〔''國定忠治 信州子守唄''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。〕〔''国定忠治 信州子守唄''、 日本映画情報システム、文化庁、2012年11月27日閲覧。〕〔''国定忠治 信州子守唄''、 allcinema, 2012年11月27日閲覧。〕〔''Kunisada Chûji: Shinshû komoriuta'', インターネット・ムービー・データベース , 2012年11月27日閲覧。〕〔國定忠治 信州子守唄 2008 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。〕。新字体表記『国定忠治 信州子守唄』〔〔〔。 == 略歴・概要 == マキノトーキー製作所の設立祝いに、と伊藤大輔が1927年(昭和2年)に手がけたサイレント映画『忠次旅日記』三部作の脚本をマキノ正博に贈り、これを原作として製作したトーキー作品である〔。内容は伊藤における『忠次旅日記 信州血笑篇』(1927年)に当たる〔。月形龍之介が忠治役を演じるのは本作のみで、『忠治血笑記』以降、月形サイドの都合のため、代役が立った〔。 東京国立近代美術館フィルムセンターの資料によれば、本作の監督は「マキノ正博」のみであり、脚本については脚色を千々喬一、潤色をマキノ正博が行ったとしており、これは原則的に現存する上映用ポジフィルムのクレジットに依拠するものである〔〔。文化庁の「日本映画情報システム」、インターネット・ムービー・データベースでは、これと同じ記述がなされている〔〔。これに対し、日本映画データベース、allcinemaでは、監督・脚本ともに「千々喬一、マキノ正博、久保為義」の共同名義とされている〔〔。本稿では前者に依拠し、後者を上記のように併記した。 2012年(平成24年)11月現在、本作の原版ネガフィルムは散逸して残っておらず、19分に短縮されたものを復元した上映用ポジフィルムのみが現存し、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている〔〔〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「國定忠治 信州子守唄」の詳細全文を読む
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